2007年11月3日土曜日

文化のみち 二葉館



名古屋市の旧川上貞奴邸に行ってきました。

文化の日の今日は、「歴史的建造物を巡るイベント 歩こう!文化のみち」というスタンプラリーがあったらしく、館内の人出はすごいものでした。

水力発電王と呼ばれた福沢桃介と女優貞奴が暮らした邸宅で、二葉町にあったこの建物は、近所では「二葉御殿」と呼ばれていたそうです。

モダンな外観や美しいステンドグラス、螺旋階段に洋風の調度品に溢れたこの建物は、政財界人や文化人のサロンとなっていたようです。

案内の年輩ボランティアの男性の話によると、貞奴は偉い方々との集いに熱心なあまり、朝、桃介が仕事に行くときも寝ていて、桃介が帰ってくるころも早々と寝ていたそうで、「こんな女性はどうもね~」と私情を絡めて説明してくれました。

桃介の事業に役立つ政財界、文化人とのつながりを築くことが貞奴の使命だったようです。

貞奴について調べてみますと、幼少時は家業の倒産もあって恵まれず、吉原の置屋さんの養女となり、後に芸妓デビューしたようです。

才色兼備で愛嬌のいい貞奴は人気者だったらしく、大阪の地元新聞の記事に次のように書かれています。

 
踊りや三味線、琴がうまく、スポーツ好きで乗馬や水泳も得意。なんといってもおちゃめで愛くるしいから、政治家の大物や大金持ちの旦那(だんな)衆にひいきにされ、人気者になる。向こう気も強く、初めて床を共にした伊藤博文(初代総理大臣)に、「御前(ごぜん)さまは偉いお方だと聞いたので、大負けに負けていうことを聞く。ありがたく思いなさい」と啖呵(たんか)を切ったのは有名な話だ。外交官の牧野仲顕(内務大臣)も首ったけになり、高価なプレゼントを数多くするが、ウンと言わなかったプライドの高さも知られる。


西園寺公望の名前もあげられており、相手にする層がすごすぎます。

貞奴の女優としての功績の大きさも調べてみて分かりました。フランス政府から勲章をもらっています。

この豪華なお屋敷にぴったりのスケールの大きな女性のようです。

傾国の美女という言葉がありますが、女性の美貌って威力がありますね。

0 件のコメント: