2007年4月30日月曜日

クィーン



映画「クィーン」を観てきました。

1997年8月31日、ダイアナ元妃の突然の事故死。

英国民に人気のあったダイアナ元妃の悲劇は、世界中に報じられ、私も驚きとショックを受けました。
日本にも訪れ、晩餐会に出席したときのピンク色の素敵なドレス姿は、日本女性の視線も釘付けにしたような記憶があります。

そのダイアナ元妃がフランスで事故死したとの知らせを受けた英王室の対応ぶりや当時就任したばかりのブレア首相の様子が事細かに描かれています。

エリザベス女王は、民間人となったダイアナに、コメントをだす必要がないと判断するのですが、国民に絶大な人気のある彼女の死を無視することは、国民を無視するのと同じだとブレア首相から進言されて苦悩します。

ヘレン・ミレン演じるエリザベス女王は、本物そっくりで、女王の品格ある美しさを見事に演じていました。

ブレア首相役の俳優さんも感じがそっくりでした。

映画の中で、何度も実際の映像が流れました。

在りし日のダイアナがパパラッチに追われている映像、離婚後、カリブ海でヨットで戯れるダイアナと恋人、チャールズの不倫相手など、今更ながらにダイアナ元妃の置かれていた窮屈な立場に胸が痛みました。

2007年4月29日日曜日

ゴルフ

昨日、ゴルフのレッスンに行ってきました。

昨年の秋は、私、長女、二女、妹の4人で参加したのですが、今回は私と妹の二人です。

昨年以来、久しぶりにクラブを握りました。

先生は前回と同じ先生で、私たちのことを覚えて下さり、「娘さんたちは参加されないのですか?」と聞かれました。

あれから半年たったのですが、それぞれ結婚、独立と大きく状況が変わりました。

4人が並んでクラブを振っていた日々が懐かしいです。

レッスン後は近くの喫茶店で女4人でおしゃべりを楽しんだものです。

今日のレッスンは、またクラブの握り方からでした。

続いて構え方や打ち方を教えていただきました。

快音はなかなか発することなく、今日はわずか3球だけ満足のいく当たりがありました。

先生がフォームをチェックしにそばに来られると、余計にうまく当たらずいやになります。

本番に強い人が羨ましいです。

家へ帰ってからも、ドレッサーの前でフォームの研究をしたり、パソコンで「ゴルフ入門」のようなサイトを見たりしています。

よくスーパーに奥さんと買い物に来て、素振りをやっているおじさんを見かけますが、あの気持ちがよく分かります。

2007年4月28日土曜日

長女宅

長女の部屋はわりと整理がしてあり、快適な一人暮らしをしているようです。

娘は、部屋の隅々に時折厳しい視線をおくりティッシュでほこりや糸くずをとりのぞいています。

平日は仕事に追われ掃除機がかけられないらしく、こんな調子で簡単にほこりをとっているみたいです。

いずれにせよほこりを気にするなんてすごい進歩です。

もうひとつの驚きは、水道の蛇口をかなりきつくしめないと水がボタッと落ちるらしく、再三、私に注意してくることです。

今朝などは娘が最後に使ったのにキッチンの方からポタッと音がしました。

私は慌てて自分の潔白を主張しました。

どうやら光熱費全般に節約を心がけているらしく、来客の行動に目を光らせているようです。

一人暮らしを始めてまだ3ヶ月で、少しずつ暮らしぶりが定まってきたところですが、この先はさらに娘流の暮らしがゆるぎないものになっていくことでしょう。

次回の訪問では、どんな発見があるでしょう。

2007年4月27日金曜日

長女宅にお泊まり

夕ご飯の後、長女宅に出かけます。

長女は、先週の二女の結婚式に続き、今週も友達の結婚式に出席するようです。

ドレスにあわせたショールを後ろに天使の羽?のように結ぶのですが、自分ではできないらしく、応援要請がありました。

どんな意図があるにせよ、娘の部屋を訪問できるのは嬉しいものです。

以前、冗談めかして、「私の家に来るときは、食材やお菓子を持ってきてね!」と言っていたので、先程慌てて、イチゴやプチトマトやお菓子を買ってきました。

多分、冗談ではなく本気だと思われます。

今夜のメニューは豚カツなので、娘にも豚カツ弁当を持って行きます。

どんな反応を示すのかしら。

2007年4月26日木曜日

手紙

披露宴の最後に娘が私たち夫婦にお礼の手紙を読んでくれました。

読み始めた途端、こみ上げてくるものがあったのでしょう、一瞬言葉に詰まったようでした。

私は一言も聞き漏らすまいと思い前方にいる娘の顔を見ていましたが、途中で涙が溢れてきました。
隣の新郎のお母さんもあふれ出る涙を抑えきれず、ハンカチを出して目を押さえていました。

手紙の最後に

 お父さん、お母さん
 24年間育ててくれて本当にありがとうございました。
 私はうちが大好きでした。

と言ってくれました。

嬉しかったです。

家族として過ごした24年間が懐かしく脳裏を駆けめぐり、これから先はそれぞれの家庭を大切にして歩いていくのだと実感しました。

この時の手紙を夫がラミネート加工してくれました。

これでいつまでもきれいに保存できます。繰り返し読んだとしても、シワになったり、汚れたりしないわけです。

2007年4月25日水曜日

車椅子対応宿泊施設

義母は2年前の夏の大病以来、車椅子生活を余儀なくされています。

日常生活もまた他の人の助けを必要としています。

先日の二女の結婚式には義父とともに出席をしてくれて、私たち家族、二女夫婦を喜ばせてくれました。

結婚式、披露宴では不自由さの残る両手で何度も拍手をしている姿に胸が熱くなりました。

そんな夫の両親を旅行に誘う計画をしています。

「父の日」「母の日」のプレゼントととして考えています。

それで今日は「車椅子対応」の旅館、ホテルを探しました。

朝刊に日本旅行の「車椅子対応施設宿泊ネット予約」が5月中旬から始まるとの記事をみたので、他にもそういったサイトがあるかもしれないと思い調べました。

義母の現在の状況を考えると、移動する時間は1時間見当なので、あまり遠出はできません。

バリアフリーで、部屋のトイレも車椅子で入れるところは、少ないことがわかりました。

一流旅館でも車椅子対応のトイレが1階にしかなかったりします。

結局、決めたところは、客室数の多いホテルで1室だけ「ハンディキャップルーム」があるところにしました。

この部屋はわりにゆったりしていて、トイレのドアも引き戸で車椅子のまま中に入ることができるようです。

仕事から帰った夫と相談し、早速予約をしました。
まだまだ先なのですが、旅行を楽しみに義父、義母が毎日の生活を前向きに過ごしてくれると嬉しいです。

2007年4月24日火曜日

ハローキティマカロニ



こんなかわいいマカロニを見つけました。

パッケージのリンゴの中にいるキティちゃんもかわいいし、中に入っているマカロニもキティちゃんとお花の形があるようです。

さらにキティちゃんのシールがおまけについています。

わが家の娘たちは小さい頃からキティちゃんが大好きでした。

夕ご飯にこんなマカロニを使ってサラダやグラタンを作ってやれば、歓声を上げたように思います。


最近のわが家の夕ご飯は、なるべくヘルシーなモノにしようと心がけています。
お肉や揚げ物が大好きなのですが、これから先は、「健康第一」です。

野菜のメニューをもっと研究して、食卓に登場させたいと考えています。

野菜料理や煮物というのは、メインに比べ地味な存在なのですが、けっこう時間と手間がかかります。
カツをじゃーんとお皿にのせたり、お肉を焼いて並べたりするのは、見栄えもよく、手間もさほどかかりません。
これらは特に長女の大好物です。

夫婦二人になったからには、子どもの嗜好は考えなくてもいいわけですから、美味しくて、体にやさしいメニューを工夫していきたいと思っています。

2007年4月23日月曜日

貞子さん

二女の結婚式終了後、私たち夫婦、実家の母、弟夫婦は同ホテルに泊まりました。

ツイン2室、シングル1室を予約してありました。

年老いた母を一人にするのは可哀相だからと夫がシングルの部屋に行ってくれました。

私と母は疲れていたのに、結婚式、披露宴の余韻に浸っていました。お互いの感想や娘たちの思い出話に花をさかせていました。

結婚式の話から、お互いの名前の話に移っていきました。


少し前、郵便局に行った時に、身分証明をするために免許証の提示を求められました。

提示すると、私が書いた名前と免許証の字が違っていました。

免許証は旧字で書かれています。

私も知ってはいたのですが、ずっと当用漢字のその字を書いていました。

ところが最近の個人情報の取り扱いは非常に厳密に行われています。

訂正を求められ、通帳も早急に正しい名前で作り直すように言われました。

これから先の人生で、書き慣れない旧字の名前を書くのにやや抵抗がありました。

「いっそ改名したらどうなのかな」などと考えてみたものの、名前を付けてくれた両親に対して申し訳なく思います。

その話をし始めたら、何と母も同じことを考えていたのです。

母は「貞子」と書いて「ていこ」と読むらしいのです。

ところが私たちは子どものころから、母の名前は「さだこ」と教えられてきました。

そのあたりの事情を母は話し始めました。

何でも近所だか同じクラスだかに「貞子」という名前の子どもが3人いて、「ていこ」「さだこ」と紛らわしく呼ばれているうちに、自分の名前が「さだこ」に定着していったと言うのです。
なにぶん大昔のことだから真偽のほどはわかりません。

母は次にこう言いました。

「いっそ『さだこ』にかえようかしら。」と。

私はすぐに反対しました。勝手に呼び名を変えているのはまだ愛嬌ですが、親の付けてくれた名前を変えるのはどうも賛成できません。

それにしても、77才になってもそんなことを考えているなんて恐るべし母でした。

2007年4月22日日曜日

結婚式 披露宴

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二女は結婚式、披露宴を無事終えて、新居に帰っていきました。

私たち夫婦も結婚式当日の夜はホテルに宿泊したので、今日の午後、自宅に帰りました。

夫はすぐに撮った写真をパソコンで見られるようにして、夫婦で結婚式、披露宴の感動を再度あじわいました。
どの写真も貴重な一瞬一瞬をとらえており、わが家の宝ものの写真となりました。

夫は2台のカメラを使い、時には魚眼レンズを使い、かなり広範囲での撮影もしていたようです。そうすることにより、その場の雰囲気がより詳しく伝わってきます。

それらの写真をウェブ上で見られるようにして、関係者に伝えました。

興奮や感動が醒めないうちに提供することが再度の大きな喜びや感動につながります。

娘たちや親戚筋からも早速楽しませてもらったと嬉しいメールが届きました。


私も夫もそれぞれ3人姉弟ですが、今回のわが家の二女が子どもの中で最初の結婚となります。

結婚が決まった頃は、どんな形の結婚式がいいのか見当もつきませんでした。
あまり形式にとらわれることなく、いっそ海外挙式がいいかな などと考えたりしました。

結局、娘たちの「みんなに祝福されて結婚したい」との希望のもとで、今回のような挙式になりました。
娘の願いどおり幸せいっぱいの結婚式、披露宴になりました。

出来上がった映像をみると、どの出席者の表情もにこやかで、娘たちも大感激したに違いありません。

結婚式

無事に結婚式がおわりました。


結婚式、披露宴と娘は満面の笑顔で幸せそうでした。

出席していただいた方々も楽しいひとときを過ごしていただけたようで安堵しています。


自分でいうのもどうかと思いますがいい結婚式、披露宴でした。


披露宴ではいくつかのサプライズもあり場が盛り上がり、若い二人の出席者にたいする思いが感じられ、好感がもてました。


終盤の娘からの手紙はとても胸をうつもので泣けてきました。

「ありがとう」という娘にこちらこそ楽しい時間を共有できて「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。

2007年4月20日金曜日

結婚式前夜



いよいよ明日になりました。

夕方、ホテルに娘を送っていきました。娘たちの部屋には、明日の2次会で着るウェディングドレスが届いていました。

結婚式のウェディングドレスとは感じが異なり、大人っぽい感じのドレスでした。そのドレスや靴を箱から取り出している娘は、とても楽しそうで、私たち夫婦が次第に緊張感が高まってくるのに対し、娘のほうはワクワク感が次第に強くなっているように見受けられました。

多分、待ちに待ったこの日なのでしょう。

別れを惜しんでうるうるしているより、こちらも諦めがつくというものです。

こんなに幸せそうな娘をみていると、愛する人のチカラの大きさをまざまざと見せつけられてしまいます。

明日は、満面の笑顔で結婚式、披露宴、2次会を楽しむことでしょう。

明日にそなえ今夜は早く休むことにします。

2007年4月19日木曜日

二女帰宅

週末の結婚式にそなえ、二女が帰宅しました。

結婚式前夜はホテルに宿泊するので今夜が私たち夫婦と過ごす最後の夜です。

夕食をとりながら、小さかった頃の話や新生活の話をしました。結婚式はこれからですが、娘たちの新生活はすでに始まっており、ようやく二人のペースがつかみかけているような印象をうけました。

といってもまだやっと4ヶ月目。

これから先の長い人生を二人で力を合わせて、温かい家庭を築いていってほしいと願っています。

2007年4月18日水曜日

物騒な事件

二女の結婚式まであと3日です。

その日にそなえて、今日の運動クラブも控えめにしてきました。

今朝、出勤前の夫から、頑張りすぎて骨折でもしたら大変だから、程々にしておくように言われました。
慎重派の夫は、あらゆる場面を想定し、心配するわけです。

というわけで、今日は途中で切り上げておきました。

わが家は、二女の結婚式一色ですが、世間では、昨日から物騒な事件が相次いでいます。

アメリカの大学では銃乱射事件、わが国では長崎市長射殺事件が起きました。

何の前触れもなく、ある日突然、命を落とすなんて残酷です。

日本は高齢化社会で平均寿命ものびています。重い病気にかかっても発達した医学のもとに、一命をとりとめる人もいます。

それなのに、一個人の理不尽な思惑のために、若い学生たちや市長さんの命が奪われたことに憤りを覚えます。

2007年4月17日火曜日

義母の誕生日

今日は義母の81才の誕生日です。

2年前の夏に大病をして以来、日常生活全般に助けが必要です。

主に義父が中心となり、夫婦二人三脚で生活をしています。

平日は毎日ディサービスに出かけ、退院してから欠席した日は1日しかありません。

ディに出かけることで家族の負担を軽くしたいという義母の決意が感じられます。ディから帰っても、ぼんやり過ごすことはなく、何かしら頭を使っているようです。

漢字、計算、脳のトレーニングなどを時間をみつけては取り組んでいます。体に不自由さが残っていても、頭だけはしっかりしていたいという強い思いが伝わってきます。

義母の大病の後、義父は心労や多忙さで体重が激減しました。
激減して義父はベスト体重になり、健康面でやや不安があった点が解消されました。

義父の生活はこれまでとはがらっと変わり、仕事と介護と家事をこなすようになりました。
本人曰く「家事はカンペキ」です。

そんな二人の様子は、「老後のあり方」を若い世代に範を示しているように思えます。

今朝、誕生日おめでとうコールをしたら、「ありがとう」と元気な義母の声が返ってきました。
週末の二女の結婚式にも二人で出席してくれます。

2007年4月16日月曜日

二女の思い出

二女は小さい頃はやんちゃな子どもでした。

長女があまり手のかからない子どもだったので、二女のやんちゃぶりに私はほとほと手を焼いていました。

例えば、何か悪いことをして、私がお仕置きのために一室に閉じこめて反省を促すと、長女は泣きながら謝り、すぐに放免となりました。
二女の場合は、お仕置きの効果がみられず、その閉じこめられた一室で平然と遊んでいるといった具合でした。

保育園に上がる頃までずっとこんな調子で、私はいつも二女を叱っていました。
叱っても叱ってもあまり効果がなく、私は保育園に大きな期待を寄せていました。

保育園の最初の七夕祭りのときでした。

娘たち年少さんのメロディーベルの発表の時です。
舞台に登場してくる年少さんの中で、ひときわモジモジしている子がいました。
二女でした。
ベルの演奏が始まるとともに、二女の目から涙が溢れ、それは次第に号泣になり、号泣とともに体は激しく揺れていました。
次の瞬間、「ドサッ」と音がして、他の子どもさんが長いすから落ちました。

一瞬、二女が大泣きのあまり転げ落ちたかと思いましたが、娘は泣きながらベルを振り上げていました。
最初から退場するまでずっと泣いていました。

家では暴れん坊の娘も、外では、案外気が小さいことが、この時分かりました。

あの時、観客席で、私と長女と義母は娘のがんばりをしっかり見ることができなく、なるべく娘と目をあわさないように人の間からみていました。

目が合えば、よりいっそう泣くだろうし、「おかあさーん」と叫んで舞台から降りてくるような気がしていました。

夫は娘の晴れ姿を撮ろうと、いい場所を確保してカメラをのぞいていましたが、どんな気持ちだったでしょう。

発表会の後で、知り合いの方から「泣きながらベルを振っていて感心したわ」と褒めてもらいました。

懐かしい出来事です。

2007年4月15日日曜日

あと6日

二女の結婚式まであと6日になりました。

夫のフォトシネマの準備は整い、長女のドレスの一部手直しも昨夜行い、私の着物の準備も今日妹の立ち会いでやりました。

まだまだすることはあると思いますが、少しずつ準備が整ってきました。

後は気持ちを落ち着かせ、体調を崩さないように気をつけたいと思います。

すでに入籍を済ませ、一緒に暮らしているとはいえ、やはり結婚式を挙げるまでは、出張で留守がちな娘のような気持ちです。

それというのも結婚式の打ち合わせなどで、2,3週間に一度の割で顔を見ていたからです。

結婚式終了後は、そんなわけにはいきません。

娘は娘の新しい家庭を築いていくわけですから、育った家庭を振り返ってばかりはいられません。
私たち夫婦もさらにバージョンアップした家庭を目指し、夫婦仲良く、ハツラツとしていたいと願っています。

2007年4月14日土曜日

ダンスレッスン



いよいよ二女の結婚式が近づいてきました。

長女はその翌週も友達の結婚式に出席します。

長女を含めた大学の友人8人で「ゴリエのペコリナイト」を余興で踊るようです。

それで年明けから何回か集まりダンスの練習をしています。

社会人6年目の女性たちが、高校の学園祭のように熱く盛り上がり練習に余念がありません。

今日は誰かが衣装を調達してきたらしく、先程その姿をこっそり披露してくれました。

ゴリエファションは東急ハンズで4900円で売られているらしく、それをきて、黄色のボンボンを持って帰ってからも練習しています。

友達の結婚式は、有名ホテルで豪華に執り行われるらしいのですが、長女たちのダンスは場を盛り上げるのにふさわしいものか、あるいは品格をそこねるものなのか、やや不安ではあります。
そのメンバーは過去2回、仲間の結婚式で同じような余興をやっています。
わが家の長女の時にも是非そのダンスの腕前を披露してほしいと思います。

2007年4月13日金曜日

宅配便

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かねてより約束していたお米を今日二女宅に送りました。

実家の母が送ってくれたお米をおすそ分けしたのです。

結婚して以来、実家に甘えっぱなしでお米を自分で買ったことは、数回しかありません。

本当に有り難いことです。

娘たちも独立した今、以前程お米は消費しないはずですが、実家の母は「孫たちにもあげて」と相変わらずのペースで送ってくれます。

いつまでこんな状態が続けられるかは分かりませんが、母も私たち夫婦や孫たちの食卓を心配するのも生きがいの1つのように見受けられます。

母のそんな行動を黙ってみている弟夫婦にも感謝の気持ちでいっぱいです。

お米と共に少しだけ食材もいれました。今日は時間に追われていたので、ゆっくり選べなかったのですが、ダンボールを開けたとき、幸せ気分になるものを入れてやりたくなります。

娘たちの独立によって、本当に母の気持ちが分かります。

母のやってきたことを今、自分がやっています。

2007年4月12日木曜日

給食

今朝のニュースで義務教育の給食費滞納問題に対して、宇都宮市の措置が取り上げられていました。
宇都宮市教育委員会は、今年度から市立小、中学校に通う児童、生徒の保護者全員に「給食費納入確約書」の提出を求めるそうです。
支払いが滞った場合に備え、連帯保証人の欄の記入も求められているそうです。

この措置に対して、一部の保護者から市に対して「きちんと払っているにのに保証人まで必要なのか」と苦情が寄せられているらしいのですが、苦情をいう相手が違うと思います。

このような措置をとらざるえない状況を作ってしまった相手に対してこそ怒りをぶつけなければならないと思います。

専門家が知恵を出し合って議論がなされているとは思いますが、給食を希望者だけに配るという案は選択肢にはないのでしょうか。

給食費を払いたくない保護者は、わが子にお弁当を持参させればいいわけです。

主婦ならお弁当を毎日準備する大変さはよくわかります。
安くて、栄養のバランスが良くて、美味しくて、こんないい条件の給食を断る手はないと思うのです。

自分の子どもの発育に関わってくる食事を、周囲に迷惑をかけて、与えてもらっていることを滞納している保護者は恥じてほしいものです。

子どもにとって生まれてきて最初に出会う教育者は親なのですから、その親が「悪い見本」を示すのは子の将来にどんな影響を及ぼすのか一目瞭然ですね。

2007年4月11日水曜日

鈍感力



1ヶ月程前、日経新聞に「渡辺淳一さん」の写真とともに著書「鈍感力」についての記事がありました。
私はざっと目を通しただけでしたが、今日、運動クラブの後、仲間たちと話していたときにその言葉を聞きました。

その方は、集団に所属していると、何か自分の行動が束縛されているようで、息苦しいらしいのです。
もっと自由に自分の生き方を貫きたいようなのです。

しかしながら、彼女は決してその場の雰囲気を読めなかったり、人の気持ちを推し量れない人ではないと自己分析しているようです。

だから「もう少し鈍感力を身につけ、ラクにクラブに関わっていきたい。」と言っていました。

早速、渡辺淳一さんの公式ブログをのぞいてみると、こうありました。

「鈍感なのは生きていくうえで強い力になる。たとえば会社で上司に叱られたり、なにか嫌なことがあってもすぐ忘れて前向きに進んでいける人、肉体的にもよく眠れて、目覚めもよく、何でも好き嫌いなく食べて消化できる。こういう力こそ、本来の才能を育み、大きく花開かせる原動力になるのです。」

「これまで鈍感というと何か悪いマイナスイメージのものと思われがちでしたが、そんなことはありません。ひりひりと傷つきやすい、鋭く敏感なものより、たいていのことではへこたれない、鈍く逞しいものこそ、現代を生き抜く力であり、知恵である。」


以前「老人力」という言葉が出回ったことがありました。

「老人力」という言葉は、これから人生の折り返し地点を向かえようとしていた私に大きな勇気を与えてくれる言葉でした。

「鈍感力」を意図的に身につけようとするのは、否定はしませんが、まったくもっての鈍感な人はイライラすることがあるかもしれません。

なんて「あなたのことでしょ」と夫に言われそうですが。

2007年4月10日火曜日

二人生活

午後から友達のお宅を訪問しました。

彼女もまた息子さん、娘さんが相次いで結婚されて、夫婦二人の生活を送っています。

久々に訪問したところ、リビングには大きな液晶テレビが置いてあり、食事のときは、4人がけテーブルに並んで座っているそうです。

そのテレビが見やすいからだと言っていました。

食事風景を頭に浮かべ、ほほえましく思いました。多分、二人ともお酒をたしなまれるから、さしつさされつ、おしゃべりを楽しみながら食事をとられるのでしょう。

彼女は「二人の生活って本当に気楽でいいわ~」と言っていました。

夏に二人で海外旅行に出かけるそうですが、パック旅行ではなく、彼女が情報収集をし、ホテルや日程、移動にともなう交通機関に時刻など調査して、個人旅行をするそうです。

並んで食事をとりながら、旅行の計画を立てているのでしょう。

好奇心旺盛な彼女はとても輝いていて、私もいい刺激を受けて帰ってきました。

2007年4月9日月曜日

19分44秒

東京に住んでいる友達から携帯に電話がありました。

なにか用事があるのかなと思いつつ、挨拶から始まって、お互いの近況、ブログのことをおしゃべりしていました。

ところで本題は?と心の中で思っていると、彼女がこう言いました。

「携帯電話のプランをホワイトプランにしたから料金がかからないのよね。」と。

そう聞いた途端、話が弾みに弾んで、19分44秒もおしゃべりをしてしまいました。

ソフトバンクの「ホワイトプラン」の威力をまざまざ感じました。

少し前までは、遠距離電話をするときは、夜の8時を待ってしたものですが、今は夜9時までに電話をしたほうがいいんですよね。

しかも携帯で。

夫もすでに「ホワイトプラン」に切り替えているのですが、私もこのあたりで考えてみようかしら。

ソフトバンクも主婦のチカラを甘くみてはいけません。

時間がたっぷりある主婦は、充電しながら携帯で長話をしそうです。

2007年4月8日日曜日

ウェディングドレス

今日は二女夫婦の結婚式の前撮り写真の日でした。

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ウェディングドレスで写真を撮り、カラードレスに着替えにいくところです。

写真室では、カメラマンの方がテキパキと二人に指示を出して、いろんなショットの写真を撮ってもらいました。

カメラマンの方いわく「きりりとした表情で」「微笑む感じで」「にっこり満面の笑みで」と次々とテーマが与えられ、娘たちも嬉しそうに応えていました。

さすがにプロのカメラマンは、「新婦さんのその笑顔いいですね~」「新郎さんも歯を見せて笑っても良いですよ」などとうまく二人をのせてくれます。

立ったり、座ったり、横を向いたり、見つめ合ったりとめまぐるしい要求にも楽しそうな様子の二人でした。

「ご両親もいっしょにどうぞ」と言われ、私たち夫婦も新郎新婦と一緒に記念写真を撮ってしまいました。

結婚式当日に写真撮影をするのなら、時間に追われて、今日のようなリラックスした雰囲気で写真をとることは難しいだろうと思います。

娘がまだメイク室にいるとき、集合写真をとるために写真室にいる花嫁さんが泣いてしまったという連絡が入り、メイクさんが慌ててメイク道具を持って部屋を出て行きました。

結婚式当日だと、感激のあまり涙を流す新婦さんも多いと思います。そうすると撮影の前にメイク直しが必要になるのでしょう。

今日の娘は一滴の涙もなく、終始幸せそうで、自然に笑顔がこみ上げてくるといった様子でした。

2007年4月7日土曜日

フォトシネマ

明日は二女の結婚式の写真の前撮りです。

その後、夫の手作りの披露宴用フォトシネマを実際に会場で試写してみることになっています。

時間をかけ、愛情を込め、ようやく完成したDVDを持って出かけます。

少し前、出来上がったものを娘の彼にみせたところ、感動して号泣したそうです。作り手としては、最高の反応を得られて、夫は大満足だったようです。

明日は大きなスクリーンで映してみるわけですが、どんな感じになるのか楽しみです。

制作途中で何回も観ているのですが、親ばかなのでしょう、観るたびに胸が熱くなってきます。
小さかった頃の写真を観ると昨日のことのように思い出されます。

彼のご両親もまた式当日、この映像を観られると、私と同じように感無量になれらると思います。

2007年4月6日金曜日

姉妹

今日、二女が帰ってきました。

といってもわが家のほうには、3時間余りいただけで、今夜と明日の夜は長女宅に泊まります。

姉妹で話すことがたくさんあるのでしょう。

お互いに結婚してしまうと、それぞれの家庭ができ、姉妹の関係も以前とは異なってきますが、今のところはこれまでのような姉と妹です。

娘たちは、私と妹が偶然にも同じ市に住み、時々会って話をしたり、電話をしたりしているのが、とても羨ましいようです。
私も年を重ねるごとに、妹が近くにいることを心強く感じています。

子育ての真っ最中や家族でよく行動をしていた頃は、妹の存在は家族以上ではなかった(Sちゃん、ブログをよんだらごめんなさい)と思うのですが、娘たちがだんだん自立していくにつれ妹がそばにいてくれることに安心感をおぼえるようになりました。

娘たちを気持ちよく送り出せたのも、夫の存在は勿論ですが、妹が近くにいてくれることも要因の1つだと思います。

いつか素直な気持ちで「ありがとう」と言わなくては。

2007年4月5日木曜日

嬉しいコメント

昨日のブログを読んで嬉しいコメントをもらいました。

自分の楽しみのために続けているブログですが、いつも読みにきてくれている人がいるのは嬉しいことです。
勇気づけてくれるコメントや共感してくれるコメントなら尚更嬉しく思います。

ありがとうございますm(_ _)m

ところで、今週末、二女夫婦が帰ってきます。

結婚式の写真の前撮りのためだそうです。私たち夫婦も写真を撮りに会場に出かける予定です。
本番ではないのですが、感極まってウルウルきそうです。

結婚式まで2週間程になってきました。

娘たちが中心となって進めているので、私がアタフタすることはないのですが、何となく緊張感が高まってきました。

2007年4月4日水曜日

ゴルフ

昨年秋のゴルフ体験レッスンは五十肩のため、後半はほとんど練習になりませんでした。

一緒に参加した娘たちや妹はそれなりに収穫がありました。今日、春の体験レッスンが今月末から実施されることを人づてに聞いて、落ち着きません。

再度やりたいのですが、肩のほうは以前より上がるようになりましたが、完治したわけではありません。
完治することを待っているといつのことやらメドが立たず、せっかく身近に感じていたゴルフも敷居が高くなりそうです。
妹に話をしてみようと思っていますが、「一緒にやろうよ。」と肩を押してくれると、ゴチャゴチャ考えずに飛び込めるのですが。

何か新しいことを始めようとするとき、大丈夫かしらと躊躇しているといつまでたっても行動を起こせません。
気楽に「やってみるか。」くらいの楽観的な気持ちを持つことも時には大切ですね。

2007年4月3日火曜日

谷根千

谷中、根津、千駄木の頭文字をあわせて谷根千(ヤネセン)というそうです。

東京の下町としてテレビなどにもよく取り上げられています。

東京1日目に行ってきました。

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まずJR日暮里駅に降り立ち、御殿坂を上ると目の前に懐かしい感じの谷中銀座が続いています。

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道の左側に「谷中せんべい」の店があり、お土産用と自分たち用に何枚か買い求めました。この店の佇まいもおせんべいの包装の仕方もずっと昔から変わらないのだと思われます。

下町と言えば「銭湯」に「コロッケ」をイメージしますが、ここにはかつてのホームドラマ「時間ですよ」の舞台となった銭湯もありました。(現在はギャラリーとして使われているそうです。)

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お総菜の店も多く、私たちも1個30円の野菜コロッケや1個10円のお饅頭も味わってきました。
どちらの店にもテレビで取材された時の様子が書かれていました。
10円のお饅頭は黒糖の皮であんこを包んだものであっさり美味しく、一度に2個は食べられそうです。

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生活の匂いのする路地を歩き回り「根津神社」をめざしました。

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青い空と神社と満開の桜が見事に調和していました。

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神社のそばには小さな金太郎飴の店があり懐かしい気持ちにさせてくれました。

疲れ果てて駅に向かう途中に「谷中霊園」があり、見事な桜並木が続いていました。

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霊園なのですが、あちこちにブルーシートがひいてあり、翌日の土曜日の花見の宴の場所を確保してありました。

江戸っ子もここで花見をしたのでしょう。
この霊園には徳川慶喜のお墓や横山大観のお墓もあるそうです。

今回の東京行きでは、東京ミッドタウンや表参道ヒルズのような時代の最先端のスポットに目を奪われましたが、谷中界隈の妙に懐かしい下町散策も大満足でした。

2007年4月2日月曜日

入社式

今日は多くの企業が入社式を開いたようです。

わが家の長女も社会人6年目、二女は3年目になります。今年は甥も姪も社会人の仲間入りをしました。
学生時代と違って、社会人特有の苦労があると思いますが、頑張って職場に慣れていってほしいと思います。

下の写真は東京ミッドタウンのオープニング前のミーティングの様子です。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の挨拶の練習も行われていました。緊張感が伝わってきました。

ザ・プリンスパークタワー東京

今回の東京行きはJR東海ツアーズ50+の超お値打ちプランでした。

新幹線グリーン車利用で、ホテルも「ザ・プリンスパークタワー東京」の先着1日3室限定「エグゼクティブツイン」という内容でした。
料金は23500円という驚きのの価格でした。
グリーン車初体験の私たち夫婦は、その快適さに大満足でした。
夫などは身分を顧みず、次回からの旅行は「グリーン車がいいなぁ。」と言い出す始末でした。

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19階の部屋からは「東京タワー」が手を伸ばせば届くかのように見えました。

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「増上寺」も眼下に広がり、満開の桜と立派なお寺は、さながら平安絵巻のようでした。

ホテルの周りには「芝公園」が広がり、桜が満開で、その日の夜は肌寒かったのにも関わらず、年度末最後の金曜日の夜をお花見で盛り上がろうとたくさんの人が宴会をやっていました。

やっぱり春はいいですね。

人のココロも軽くなってきます。

2007年4月1日日曜日

Tokyo Midtown

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東京二日目の朝、仕事に向かう二女と一緒に朝食をとることになっていました。

事前にチェック済みのお店が開店前だったので、この日オープンの「東京ミッドタウン」に行ってみることにしました。

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早朝のため人影もまばらで嵐の前の静けさが感じられます。数時間もすれば、この広々とした空間は人で埋め尽くされることでしょう。

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この日の午後、また来ることになりました。朝とはうってかわり、どの階も人、人で埋め尽くされていました。人気のショップやレストランは長い列をなしていました。
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いたるところに「和の要素」が取り入れられています。
外国人もたくさんきていました。

その日の朝、テレビで取り上げられていた高級チョコレートの店やNYのスターシェフの店を見つけてきました。
その日本初上陸のレストランの前には、女優十朱幸代さんからの大きな花が飾られていました。

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ここを訪れた人たちの目的は、ショッピングなのでしょうか。それとも評判のレストランでの食事でしょうか。はたまた私たちのように単なる興味、好奇心でしょうか。

ただいま

夜遅く帰ってきました。

留守宅には明かりがついていて、一人暮らしをした長女が帰ってきていました。

洗濯物をベランダに干して出かけたのを取り込んであり、夕食はわが家の冷蔵庫の中を物色し作って食べ、後かたづけもきちんとしてありました。

年を考えると当たり前のことかもしれませんが、すごい進化です。

やはり一人で暮らしてみて、何でも自分でやるようになった結果だと思います。

帰ってきたときに明かりがついていて、出迎えてくれる人がいるということは嬉しいものですね。

旅行の報告は明日以降にします。