
1ヶ月程前、日経新聞に「渡辺淳一さん」の写真とともに著書「鈍感力」についての記事がありました。
私はざっと目を通しただけでしたが、今日、運動クラブの後、仲間たちと話していたときにその言葉を聞きました。
その方は、集団に所属していると、何か自分の行動が束縛されているようで、息苦しいらしいのです。
もっと自由に自分の生き方を貫きたいようなのです。
しかしながら、彼女は決してその場の雰囲気を読めなかったり、人の気持ちを推し量れない人ではないと自己分析しているようです。
だから「もう少し鈍感力を身につけ、ラクにクラブに関わっていきたい。」と言っていました。
早速、渡辺淳一さんの公式ブログをのぞいてみると、こうありました。
「鈍感なのは生きていくうえで強い力になる。たとえば会社で上司に叱られたり、なにか嫌なことがあってもすぐ忘れて前向きに進んでいける人、肉体的にもよく眠れて、目覚めもよく、何でも好き嫌いなく食べて消化できる。こういう力こそ、本来の才能を育み、大きく花開かせる原動力になるのです。」
「これまで鈍感というと何か悪いマイナスイメージのものと思われがちでしたが、そんなことはありません。ひりひりと傷つきやすい、鋭く敏感なものより、たいていのことではへこたれない、鈍く逞しいものこそ、現代を生き抜く力であり、知恵である。」
以前「老人力」という言葉が出回ったことがありました。
「老人力」という言葉は、これから人生の折り返し地点を向かえようとしていた私に大きな勇気を与えてくれる言葉でした。
「鈍感力」を意図的に身につけようとするのは、否定はしませんが、まったくもっての鈍感な人はイライラすることがあるかもしれません。
なんて「あなたのことでしょ」と夫に言われそうですが。
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